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夢や希望や雰囲気に縋らず、日々を淡々と過ごし満足している人が見ている現実さえ、恒常性や同一性によって脚色されているだろう。
もし何も信じない人がいたとして、その人は不幸な生き方をしているのだろうが、なぜ彼はそれに耐えられる?
そんなやつ存在するのか?
しかし人以外は全てそうなのだ。
人の想像力は飛躍的に伸びたが、心はそれを受容できなかった。
俺はガンダムではない
流行に疎い僕は六月になってから五月病に罹患した。
何事にもやる気が出ず、ずっと部屋で寝転がっている(サークルとインターンは行くけれど)。
毎年六月頃は元気がなくなる。
思うに、五月病(僕の中では六月病)の仕組みというのは、四月病(新しい環境でやる気に溢れる症状が出る)の反動なのではないか。
四月、新たな慣れない環境に適応すべく、脳はドーパミンとかアドレナリンとかのやる気物質を大量に分泌する。
そこで、スイッチのONOFFが苦手な人は脳内物質を分泌し過ぎて、枯渇させてしまう。
すると、五月に病んでしまう。
僕はONOFFが苦手過ぎるので、五月も継続して分泌し、六月にガッツリ反動を食らう。
高校でも六月くらいから休みがちになってた気がする。(予備校は免許取る為に五月から休んでた)
ONOFFが下手なのは生活習慣が滅茶苦茶なのが主な原因な気がするけど、ONOFFが下手だから生活習慣が滅茶苦茶なんだろって言われたらそれもそうって感じ
前置き終了、とにかく六月はOculus Goを使って毎日ベッドで仰向けになりながらずっとアニメを見てた(ゲームは意外と体力を要するので無理だった)。
見てたアニメの1つに、ガンダムの00があって、主人公のセツナ・F・セイエイが「俺がガンダムだ」とか「ガンダムになる」とか「俺はガンダムになれない」みたいなことを言ってた。
その発言群の内容はともかく、僕が注目したのはそのガンダムへの信仰の深さだ。
彼はとある経験からガンダムに心酔していて、ガンダムになる為なら命さえも問題としない(ガンダムになるってなんやねん)。
それに引き換え僕は信念を持たず、与えられた環境を最大限に活かし怠惰で快楽主義的で近視眼的な生活を送っている。
これは開き直りではないけれど、似たような感じの人も多いと思う。
現代の日本の環境だったら、それなりに合理的な生き方。
東洋的世界観に基づいた、環境と調和した状態。
だけど、どうしても、セツナみたいな純粋な生き方に憧れる。
西洋的価値観の、個人が神を目指す物語。
そう、結局のところ、目指すべき理想と現実世界の適性がズレてることが問題なんだと思う。
成人近くになって今更自分の価値観を変える気はないし、かと言って遺伝子に設計されたホルモンバランスやニューロンの構造もどうしようもないけれど、現状を認めれば、多分まだ希望はある。
取り敢えず、ベッドから出ることから始める。
P.S.
伝わりにくいけれど、信念がなく怠惰で無計画なのが東洋的と言ってる訳ではないです。
あと数学的直感脳の作り方をくれたシータくん、ありがとうございました。集中モードと拡散モードという概念をきっちり把握できたのは良かったです。